苦痛は評価対象じゃねぇだろたぶん。

##>はてなエスチョン(人力検索)からお越しの方へ。
##コピペしたために改行記法*1が反映されていませんでした。
##4/14 13:50に段落わけを済ませたバージョンに更新しました。


本当なんか、なんとなくな感覚で評価ってのはなされるものなんだなぁ、
なんてことを思ったわけです。


あ、久しぶりに書こうと思ったのは、
ちょうど主張したいトピックスが最近頭の中にあるのと、
Googleで検索したときに
ずいぶん下のほうに表示されるようになってしまったのが
なんかさみしかったからっす。


とにかくね


「努力した」=「良い」
「フマジメ」=「悪い」
みたいな価値観を、当然のように、何の疑いも持たずいて、
無意識にその価値観に基づいた対人評価をしている人を見ると、
どうも釈然としないものがあるなぁ、と。
「成果を出した」=「良い」
っていうのが言いたいのかというと、まぁそれに近いんだけど、
ちょっと違う。


「良い」っていうのは、
「良い」子みたいな、好感が持てるというような「良い」と、
「良い」結果を出した、というときのような「良い」と、
あるわけです。


人間は、社会の中で、生産と消費を通して生きますね。
でーもって、生産っていうのは何かっていうと、
自分だか他の人だかが消費するものを生産するわけですよ。
つまり誰かが働いてなにか作り出して、
それを誰かが使って社会がまわってる。
社会でなく、無人島での一人の生活でも同じ。
ロビンソンは自分で野菜をつくり、自分で食う。


無人島で一人で暮らしているという社会のモデルは、
今回のエントリで書きたいことを説明するのに
とってもいいモデルなんですよ。


ものを生産して、ものを消費する。
生産活動は、アタマを使うことで効率化します。
同じ労力・時間でも、より多くのものを生産できるようになる。


最初のころロビンソンは、
一日に10時間くらい働いてやっと食っていけたとする。
工夫に工夫を重ねれば、ロビンソンは1日10分働けば
自分が生きていける分の食料をつくることができるようになるかもしんないです。
効率化によって、自分の労働の能力を高めたって感じ。
この状態で一日10時間でも働こうものなら、
漂流民が60人流れ着いても、ただ飯くわせて養っていけるということになる。
つまり、以前より高い能力の行使によって、社会全体の生産量が増える。


効率化っていうのを、表層的に見て
すぐ「好ましくないもの」と思い込むのは非常にばかげてる。
「楽してる」のはいけないことなのか。成果を出すことに価値はないのか。


サークルなんかで、・・・まぁ、なんていうか、
わかる人はわかるんだろうけど、大学の文化祭で出店やったりしてさ。
俺はパフォーマンスっていうかバカっぽいことをやるのが好きなんで、
ひたすら変な口上をわめいて客引きをしてたんですよ。
声も結構おおきめに出してたから、そりゃ疲れますよ。
しかし、俺の客引きがどれくらい売り上げに貢献したかというと、
周りの店が親しみを感じて毎日買ってくれたくらいです。
たぶん、通行人に普通に話しかけて
「お昼に一杯どうすか!」って言ってた後輩と
同じくらいしか売り上げてなかったと思う。
俺は効率的に売ろうとしてはおらず、どっちかっていうと内輪ウケを狙ってただけ。


これが、後日打ち上げの日にどういうことになったかというと、
なぜだか俺はすごく貢献したことになり、軽く特別扱いを受ける。
扱いっていうか、評価か。なぜか高い評価を受けることになった。
同じくらい売り上げた後輩は特にどうということもなく
パンピーって感じで普通にしゃべって飲んでるだけ。
そもそも俺もその後輩も、他の呼び込みと比べても同じくらいの売り上げ貢献だから、
後輩が特別扱いを受けないのは当然っちゃ当然。
じゃーなんで俺だけそういうおいしい思いをすることになるんだろねー、って感じ。


話がずれてわかりづらくなったけど、
純化すればこういうこと。
同じだけサークルに貢献したときにおいて、
体力を余計に使ったほうは評価され、
普通にやっていたほうは特に評価されない、
こういうことになった。


このさい大きな声で活気付いたとかそういうのは置いときたい。


まぁ文化祭は祭りだから、にぎやかにしたことで評価されるのはわかるけどね。
でも、理屈でいえば、本当にサークルのためになっているのはどちらかというと、
これは後輩じゃないかと俺は思う。
なぜなら俺は翌日ガソリン切れしてぐだぐだになるかもしれないから。
特別に体力を使うことのなかった後輩は、翌日も同じように貢献できるだろう。


また徒然なるままにめんどくさい思索を書いてしまいました。
とにかく、俺が思うのは、
苦痛や疲労を伴う活動は、それ自体には価値がないってことです。
毎日コツコツの勉強より、一夜漬けのほうが理解が深まるなら一夜漬けがいいじゃん。
勉強の例で言えば、これはまぁ俺の実感として、
コツコツやったほうが成績があがるように思うけどね。
この「努力が成果につながる」という前提があって初めて、
努力に価値が生まれる。
努力自体には非常な価値がある、みたいな、
考えたらずに見える優等生ノリを見ると、とっても違和感を感じる俺なのでした。


まぁ、人間が判断において最終的に信頼するのは感情らしいので、
「がんばってる姿」を好ましいと思ってくれる人が多い場においては
必要以上にがんばって、効率を下げてでも自分の評価を上げてもいいんじゃないの。


・・・うーむ
新歓が楽しくて結構良い気分だというのに
なぜこういうイヤなノリで書くことになったんだろう?
テーマが悪いのか。そうか。

*1:段落わけを、空白行を2つ連ねることであらわす記法